スタートが遅れ、冷や汗をかきながら、奮闘中です。

 

菊山武士

ルナの午前三時

 

         菊山武士

 

私の部屋をのぞきこむ

ルナに向かって

見せたのは

遠い彼方の

抜けた歯に

思いを込めて

投げつけた

小さなかわいた

かなしみひとつ

 

私の汚れたからだには

重星病魔の棲むという

ルナの涙に

憑いてははてぬ

かなしみ背負い

指をかむ

水の鏡に

 

        菊山武士

 

金魚の為に

町にでた

 

朝の時計のまばゆさに

その角をまがると

街の終わりを

告げる

子供の声

 

私はそそくさと

バスに乗り

鳥の歌を聞きながら

元の広場へと

戻る

一本足のベンチに

腰かけながら

風の歌にも

こえかけられず

馬のひずめに

漂ひながら

 

色ない瞳に

時の尾の

訪れまちても

声はなし

 

 

今宵の夢のはじまり

 

       菊山武士

 

静けさを取りもどした山に

鳥は舞い降る

狂った風も

眠っていた日の光りも

幻想めいた

時を刻む音も

いつしか

二千三百万年前の

泉に

たどりつく

 

月の光に導かれ

私の旅は はじまった

溶けない氷を

たずさえて

駱駝の夢の

行く末さえも

感じつつ

時間の呼吸の

弱まりに

私の夢が 蘇る

 

大学時代のゼミの先輩お二方と僕の3人でつくった同人誌「耳」。堀口大学の名訳でも有名であるジャン•コクトーの詩「耳」からとった。

その同人誌「耳」の題字と詩を担当したのが、僕だった。今見ると表紙の題字もかなり気恥ずかしいのだが、詩の方は比べようもないくらいもっと恥ずかしいのである。顔から火が出るくらいではおさまらないほどである。しかし、今この詩のような感性は持ち合わせず、心地よい懐かしささえ感じるよい経験をさせていただいたと同人誌発行をお誘いくださった先輩お二方に感謝です。

いつかここに載せた20代の頃の詩を書で表現したいと思っている。

 

菊山武士(きくやま つよし)

中国留学時代(1991〜1999年)、中国の書道新聞誌上に初めて発表させていただいた記事が『書法報』〈1996年2月28日第9期(総第607期)〉【日本磨墨機】(中国語の文法上、「墨磨機」が「磨墨機」となる。)であった。その当時は、まだ墨磨機を使ったことがなかったので、夏休みの帰国時に奈良の墨運堂さんに電話をかけ、事の次第を説明し、丁寧に詳しくいろいろとお教えいただき、拙い文章が完成したのであった。

記事を発表して30年近く経つが、未だに中国国産の墨磨機が販売されたという話を聞いていない。韓国ではその当時から韓国国産の墨磨機があったとは聞いていたのだけれど。

中国では現在、良質の固形墨がたくさん販売されているようなので、墨を自分で磨っている人が増えてはいるはずなのに。

 

菊山武士(きくやま つよし)

展覧会用大作を制作する時、大量の墨汁が必要となる。自分で磨るか市販の墨液を使うか?やはり自分は、書表現の一部でもあり•書美の重要な構成要素ともなる多彩な墨色を求め、固形墨を磨って使いたいと思っている。ただ必要となる磨墨液が大量となる為、墨磨墨の手を借りることとなる。(以前自分で磨っていた頃は、一日6〜7時間かかっていた。)

僕が中国に留学していた頃(1991〜1999年)、中国の固形墨の良品がなかなか手に入れられず、買えたものはどれだけ磨っても黒くならないやっかいな墨ばかりであった。当然その当時の書家の先生方もご自身で墨を磨ることはほとんどなく、市販の墨液を使うことが多かった。そのような環境の下では、墨色の勉強などする機会はなく、日本に戻ってから使用する水や宿墨の仕方等、試行錯誤の連続である。

今では、墨磨機無しの制作は考えられなくなった。

 

菊山武士(きくやま つよし)

藤原佐理というと書道を習っていなくても、日本史の授業などでその名を聞いたことがあるかと思います。三跡の一人小野道風が和様書道を創始し、藤原行成が和様書道を完成させたというのが日本書道史においての定説である。佐理はというと、中国風の書の傑作を残した能書家と記されるが、中国の書家(僕の知り合いのほとんどの書家)は、佐理の書こそが日本風であると見る。彼らの目には、佐理の奔放自在に書き流した変化に富む書状は中国風の狂草というより仮名書のように写っているのである。

日本人の考えと中国人の目に映る佐理の書は、まったく反対の評価であり、興味深いことでもある。この佐理という謎を少しずつ・ゆっくりと考えていきたい。

菊山武士

村田義行先生より、掛軸に折れもなくシミもさほど多くない。それほど悪い状態のものでないと言うことでした。染み抜きすることで、いまよりも全体が少し白く感じられるようになるかもしれないことをご了承してくださいとのこと。また、山水画であるので、華美にせず中国風の「明朝」という形式(元の掛軸と同じ形式)の掛軸にすること。また元の掛軸を活かすことと、なかなかのものが使われていることから、文字と軸先はいまの軸掛の物を使うことでした。染み抜きの期間はおよそ2~3か月くらいくだいとのことでした。軸装するには、今の季節が一番よい季節だそうです(菊山武士先生からのメール)

吉武弘樹さんは朝一番の飛行機で福岡から、菊山武士(きくやまつよし)さんは三重県の津市から。初対面の二人はピカソ展、岡本太郎展が開催されている上野で落ち合い夕方、日本橋の創徳の事務所に来られた。驟雨の書芸術家の菊山武士さんは雨男は分かっているが、宇都宮さん、吉武弘樹さんも雨男でしたと菊山武士。未来の計画(昭和会受賞作)で吉武弘樹を知り、驟雨で菊山武士を知り、教えを請うた。それぞれ個別にお付き合いしていたのだが、今回のピカソ展、岡本太郎展は僕自身が6回ほど行き、こんな展覧会はない、観に来ませんかと二人にお声をかけると、快諾。初めてのご対面となった。ショーロンポウを食べ、飲み、ピカソを語り、宮下誠を語りパウルクレーを語りジャコメッティーを語り、マチスを語り2次会はワインを飲み、芸術を語り、川喜田半泥子を語り、マグリットを語り、至極の時間を持った。僕は心の中の永遠の素人、小さな徳治少年においらの審美眼はあいかわらずいいねと会社に飾ってあるピカソを見入る彼らの背中をみながらつぶやいた。

 

 

『解放される立』について

『立』という字は、『大』と『一』の組み合わせでできている字で、『大』は手足を広げて立つ人を正面から見た形であり、『一』はその立つところの位置を示すものであるとされています。
その『立』一字の書作品を制作していた最終盤で、墨量が足りず(一字書の制作には大きめの筆を使っていたので、大量の墨が必要となる。)、小さめの筆に持ち替え『立』の多字数作品を書かざるを得なくなったというのがこの作品の背景にあります。
『書』は、『卒意(制作意図や目的を持たず、心のままに作り上げること。)』を大切にするとは言いますが、なかなか書けるものではありません。この作品は、『卒意の書』とまでは到底言えないのですが、意図や目的を持たない行き当たりばったりの本当に最後まで書き上げることできるかどうか(残された墨量が少なかったので)という代物であったことは間違いありません。
書は、書いた文字や語句・詩や歌などの題がそのまま書のタイトルとなることが多いのですが、この作品の制作後「手足を広げて立つ人」が「その立つところの位置」から動き出し・走り出しているように感じられたことから、この作品のタイトルを『解放される立』としました。(菊山武士)

解放される立135×105 

第25回産経国際書展

文部科学大臣賞授賞作品

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同志社大学経済学部卒業

南京師範大学大学院美術学部書道専攻修士課程修了
南京大学 外語部講師 (1996-1999)
産経国際書会 理事

受賞:
2006年 文化庁所管 公益信託 國井誠海書奨励基金 第9回誠海賞
2008年 第25回産経国際書展 文部科学大臣賞
2010年 第27回産経国際書展 産経国際書会会長賞
2011年 第6回手島右卿賞
その他多数

編著:
1997年 歴代書法名家草書集字叢帖 (天津人民美術出版社)
2001年 日本古代書法経典 (天津人民美術出版社)

リヒター確かに難解ですね。色々と評論を読んでいても、分かるような分からないようなという感じです。
確かに表現方法も多様で、同時期に多様な表現を併用していることからも、作品の意図を汲み取ることを難しくしているようにも感じます。
現代アートの様々な様式にも果敢に挑んでいることからも、とてつもない情熱を感じるのは、その生育環境によるものなのでしょうか
1980年代の後半から旧ソ連出身の作曲家が注目を浴びていたことがあったのですが、やはり鬱屈とした社会主義リアリズムからの解放を強い意思と探究力(西洋の新しい音楽語法も取り入れ)で乗り越えていったことに似たようなものを感じてしまいました。
またやはりその影響力の高さも感じます。他の現代アートの作家が表現していたものはここからきていたのかと感じる作品が多々見受けられました。
何かよくわからないのですが、その凄みは感じることができました。やはり実物を見たくなってしまいました。
昨晩リヒターの図録をずっと長く見ていたせいか、不思議な夢を見ました。不快な感じではないのですが、漠然とした不安を感じるもので、僕の体の中から小さな魚や卵のようなものが出てくるといったものでした。
まだまだこれからもリヒターのことを知りたくなってきております。(菊山武士先生からのメール)

連作雨菊山武士作

同志社大学 経済学部卒業
南京師範大学大学院美術学部書道専攻修士課程修了
南京大学 外語部講師 (1996-1999)
産経国際書会 理事

受賞:
2006年 文化庁所管 公益信託 國井誠海書奨励基金 第9回誠海賞
2008年 第25回産経国際書展 文部科学大臣賞
2010年 第27回産経国際書展 産経国際書会会長賞
2011年 第6回手島右卿賞
その他多数

編著:
1997年 歴代書法名家草書集字叢帖 (天津人民美術出版社)
2001年 日本古代書法経典 (天津人民美術出版社)

ポスターにも使われた驟雨。この作品を観て菊山武士先生に手紙を書き、教えを請うた

驟雨はベルギーのコレクターが所蔵

数年前、壷中居での細川護熙展。この蓮図を選ぶと、後ろから護熙さんがニッコリとして現れた。同席した書家・芸術家の菊山武士先生が宇都宮さんが選んだこの蓮図は練習紙に描いたもの。護熙さんがよほど気に入って作品として出されたものだと。メインに飾られた蓮図は作品、作品として好きでなかった。その後、菊山武士先生と護熙さんは何か話をされていたが、僕にとってはこの審美眼の共有がとても嬉しかった。・・・

今回お送りいただいたゲルハルトリヒター図録は読み物としても素晴らしいものでとてもワクワクいております。今日はこの図録を読むことで徹夜になりそうです・・と菊山武士(きくやまつよし)先生からラインが9時27分に。9時前に爆睡状態なので朝起きてラインをひらいた。汽水域の見直しは75万社に広げ、連日、その中からの選別はとてつもなく、孤独。そんな中、菊山武士先生との美意識の共有、空間を持っていることが、いまの心の支え。実はゲルハルトリヒターは理解しがたく、多分好きにはならないと思うのだが。

細川護熙 蓮図

完成度の高い公式ゲルハルトリヒター展図録

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顔真卿44歳の時の書体 多宝塔碑(752年)

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欧陽詢76歳の時の書体 九成宮醴泉銘(632年)

 

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顔真卿44歳の書体

ながくあえなくてもお互い忘れずにいましょう 天の川でお逢いしましょう

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同志社大学経済学部卒業

南京師範大学大学院美術学部書道専攻修士課程修了
南京大学 外語部講師 (1996-1999)
産経国際書会 理事

受賞:
2006年 文化庁所管 公益信託 國井誠海書奨励基金 第9回誠海賞
2008年 第25回産経国際書展 文部科学大臣賞
2010年 第27回産経国際書展 産経国際書会会長賞
2011年 第6回手島右卿賞
その他多数

編著:
1997年 歴代書法名家草書集字叢帖 (天津人民美術出版社)
2001年 日本古代書法経典 (天津人民美術出版社)

ムンク展の人混みを横にそれ階段を下り「見る、知る、感じる 現代の書展」に行くと雨の音が心地よく聞こえてきた。菊山武士さんの書「驟雨」だ。書の世界で音を聞いた。一瞬、小倉遊亀の「径」を想いだした。真夏に日傘をさした母親と娘と犬が一列に歩いている作品だ。驟雨と真夏の日傘なにも関係がないように見えるが、リズミカルな旋律が一緒だ。いっぺんに好きになった。2018年12月のこの展覧会で菊山武士(きくやま つよし)先生の存在を知り、お手紙を出し教えを請うた。

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