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2021.09.06
残照 東山魁夷

戦争末期の1945年(昭和20年)37歳の東山魁夷は応召して熊本の連隊に入営。爆弾を抱いたまま突入するという自爆訓練に明け暮れる。あるとき、熊本城から見える阿蘇の遠望に生の輝きを観るという体験をする。死を覚悟して初めて見えた命の美しさ。川端康成はそれを末期の眼、末期の美と。生きて戻った東山魁夷はその末期の眼、美と同じような場所を鹿野山に来て「残照」を描いた。戦後初めての日展では落選、親、兄弟全員を失う。40歳まで画壇で特段の評価もない中でこの鹿野山で描いた「残照」が翌年特選で国の買い上げ、ここから東山魁夷の画壇での道のりが始まる。

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1976年「残照」の写生地鹿野山を再訪した東山魁夷

東山魁夷残照

 

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