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10年前のクロ
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 撮影:宇都宮徳治(三浦半島城ヶ島)
10年前の手帳には、本日(当時は木曜)朝8時30分当時僕がいた証券会社の上野支店に応援に行く、と記されている。自主廃業して2日目、同期のクロ(愛称)が支店長をしている上野支店に行き、顧客の株券の返却、投資信託の解約手続きの応援をした。
当時本社の営業本部から本社社員による支店への応援・支援要請の指示がでましたが、みんな自主的に行動。「結構、いい社風じゃん」と僕は感じた。資本市場部に最後は在籍でしたので、顧客を持っていない気楽なポジション。
同期で一目置いていたクロが支店長をしている上野支店に勝手に行く事にした。
個人営業・法人営業・地方支店・都内支店・企業開発部(M&A)・事業法人・資本市場部(事業法人・金融法人)・公開部等証券会社で学ぶセクションは全て経験したのが僕の自慢。新人の時の人事に対しての苦い経験から本社勤務以降は全て自分の人事は自分で副社長なり動かして異動。
だから営業の現場・支店の大変さはよく分かる。当日のクロは支店長室を出たり入ったり慌ただしく対応していた。
冬のつるべ落とし。あっという間の一日の終わり。明日からも当面続く残務整理を考えて「クロ、一杯やるか?」とも云えずその日は僕は帰宅。
「冬のつるべ落としとクロのいつもの微笑み・・・」
その後彼は某金融系の人事担当責任者として落ち着き、僕が創徳企業情報を創業した時、いの一番に電話をくれた。「宇都宮、おめでとう!忙しいんだろう?今度落ち着いたら、一杯やろう!」
それがクロとの最後の会話。
証券会社の同期からその後、クロの訃報を聞く。僕は新人の頃から同期会などたむろす事はいっさいゴメン。クロの通夜にも行かなかった。
金融破綻から今年で10年。雇用の流動化が起こった事は間違いなく。大きな会社が良いわけでもないという常識がやっと解りつつある新しい時代。
毎日愛読している日本経済新聞の私の履歴書、田淵節也氏の野村證券山一證券から内定を貰う。入社の選択肢は自分にありましたが、「もし宇都宮社長が野村證券を選択していたらどうなりましたか?」と当時、「仕事人秘録」連載のため取材に来た日経産業新聞の記者から質問を受けました。
答えは今でも同じ。「山一證券でも野村證券でもどちらでも良い事。自分で一番好きな仕事が出来る人が一番の幸福者。10年前の金融破綻で僕が学んだ事は会社に寄りかかることでなく、自分は何がしたいか。何が出来るか。・・・会社の規模の大小でけっしてない事」
同じ大学、同期、同世代のクロ。この10年の社会の荒波のなかで早すぎる死。痛みを感じる世代として・・・そして、僕自身の10年目の心の区切りとして書き留めておく。
「人生 つるべ落としの如く 過ぎにけり」徳治
%E3%83%AD%E3%82%B4.jpg     りんどうの花言葉:「正義と共に勝利を確信する」「気遣う心」     
                   創徳企業情報 代表取締役社長 宇都宮徳治
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