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2019.12.23
残照 東山魁夷
30代後半、召集令状がきて明日人間魚雷艇で戦地に行くかもしれない日々を東山魁夷は熊本連隊で送っていた。家族全員をそれまでに亡くし、赤貧、孤独のなかに。訓練が終わり熊本連山の夕日を観る日々。この光景を後年、友人の川端康成は「末期の光景」と読んだそうな。ものごとが終わる前の一瞬は美しいのだとも。終戦後、千葉に居を構え、あの熊本連山と同じような山を探し、この君津にある鹿野山に晩秋に来て描いたのが「残照」それまでに何の賞とも縁がなく40歳前にして描いたこの作品が東山魁夷の巨匠へのスタートとなった。一枚のモノクロの写真を観た。切り株のようなものに座り、この鹿野山を外套を着て観ているその後世に認められ巨匠となった東山魁夷。もう何年、何回この鹿野山を描いているのだろうか。決して飽きない。
ここに来るとその東山魁夷が威張らずにいる。
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